20年前の生活苦の時、アルバイトの面接で受けた屈辱を感じた山下さん(仮名)。
その屈辱感で、今仕事を頑張っていられるそうです。
他3人の生活苦の体験談を紹介します。
目次
バイト面接での屈辱
生活苦だった若いころ、アルバイトの面接で受けた屈辱感。
20年後の今でも、悔しい気持ちでいっぱいです。
生活費がない
若いころ、就職で都会に出て一人暮らしをしていました。
訳あって、会社を辞めてしまいました。
先のことも深く考えず、今思えば、若気の至りでした。
その後仕事を探しましたが、なかなか思うような仕事がありませんでした。
就職も決まらず、とうとう生活費がなくなってしまいました。
アルバイトの面接
当面の生活のために、アルバイトをしようと思いました。
それで、簡単なアルバイトの面接を受けました。
面接を受けると、アルバイトの面接官が、無理難題を言ってきました。
車に3人くらい乗せるのは可能ですか?
トランクに荷物を入れさせてください。
納品先で営業してください。
など、とてもバイトの仕事ではありません。
車を出しても、ガソリン代は出ません。
無料タクシー代わり、トランクルーム代わり、時給割れした営業なんて酷すぎます。
こんな仕事したら、ますます赤字になりますので、その場で断りました。
今まで何度も面接を受けましたが、その中でも最低の面接官でした。
お金に困っていることが、面接官にありありとわかってしまったのでしょう。
足元を見られて、面接官は無理を言っても断れないだろうと判断したのだと思います。
この時の悔しさは、20年経っても忘れません。
運が悪い時
人生には、運が良い時と悪い時があります。
上手くいかないときは、何をやってもうまくいきません。
焦れば焦るほど、空回りしてしまい、ますます悪い状況になってしまいます。
神さまを信じているわけではないのですが、そんな時は神頼みでもして、冷静になることが一番だと思います。
安定感のある職業に就けば、生活も安定します。
生活が苦しくても、運が悪い時ほど焦ることなく、少しでも気持ちを落ち着けなければなりません。
私は、20年前の面接の屈辱感をバネに、今がんばって仕事をしています。
おしゃれしたかった
学生時代、食べるのがやっとでおしゃれができませんでした。
バイトで生活費を稼ぐ
私は自宅から離れた地方の私立大学に行きました。
当然のことながら下宿しました。
でも、親から家賃の仕送りはしてもらえましたが、生活費は自分で稼げと言われかなり生活苦でした。
夜は、一生懸命バイトしました。
バイト先も、食費を浮かす為に夜の賄いがある所を探しました。
バイト先の店長も、私の事情を知って、いろいろと協力してくださいました。
よくバイト先の賄いの残りをもって帰り、翌日お弁当などに詰めたりなどもしました。
バイトが休みの日には、かさ増し食材のもやしと木綿豆腐を食べたりなどをして、空腹をしのいでいました。
服が買えない
バイト先の協力もあって、食べ物はなんとかなりました。
でも、服が本当に買えなくて・・。
友達のいらなくなったお下がりなど貰ったりしました。
また、姉のお古なども送ってもらったりなどもしました。
やぶれても繕ったりして工夫し、何とかごまかして着ていました。
大学生活の四年間は、一度も服を買えませんでした。
もっと学生時代を楽しみたかった
毎日着る服は、この様にして何とか賄いました。
でも、新しい服を買うことは、全くできず、おしゃれもできなかったので、かなり辛かったです。
生活費を稼ぐ為に毎日バイトを入れていたので、友だちとの飲み会などにもほとんど参加する事が出来ませんでした。
大学に行かせてもらったことを親には感謝していますが、学生らしい思い出を作る事が出来なかったので、いまだに心残りです。
おトイレで親を困らせた
子供の頃、家がかなり貧しく生活苦で、ぼっとん便所とお風呂がない文化住宅に家族5人で暮らしていました。
でも、その頃わたしはまだ子供で自分の家が貧しいという認識はありませんでした。
我が家のぼっとん便所が、当たり前だと思っていました。
小学生となり、友達の家に遊びに行くようになって外の世界を目の当たりにするようになって・・
友だちの家の綺麗な水洗トイレに衝撃を受けました。
我が家のぼっとん便所の備え付けは、うんこ色の便所スリッパにちり紙でした。
友だちのサアちゃんちのおトイレは、明るい照明でいい匂いがして。
その上、ふかふかのスリッパに二重になっているトイレットペーパーが備え付けてありました。
我が家との差はなんなのかと、我が家のおトイレはどうしてこうなのかと、その日は両親をかなり困らせてしまったようです。
文章を書いて耐える生活苦
大学を卒業し、新卒で入社した会社を8か月で辞めました。
会社に馴染めなかった
職場の人はみな優しかったのですが、どうしても会社という組織に馴染めなかったのです。
仕事がきついわけでもありません。
とにかく、会社に行くというその行為自体が嫌嫌で嫌でたまらなくなりました。
このまま毎日を嫌々過ごし、死んでいくのが怖かったのです。
ストレスで夜眠れなくなり、このままではダメだと思い、会社を辞めました。
生活苦の始まり
就職をして一人暮らしをしていたため、貯金などありませんでした。
新しい仕事も見つけていいません。
貧乏生活が始まりました。
これを生活苦と呼べるのでしょうか。
冬なので、当然寒いです。
しかし、お金がないため、暖房はつけられません。
仕事をしているわけでもなく、特に何をしているわけでもないのに、お腹は空いてきます。
一日一食、スーパーで特売になっている安いものだけを選び、毎日それだけを食べました。
ライティングの仕事
お金はないけど、会社員はもうできないと思います。
新しい会社に入っても、同じことの繰り返しになります。
ネットで探して、クラウドソーシングでライティングの仕事を始めました。
素人の単価は安く、1文字0.1円にも満たない仕事がほとんどです。
しかし、働いているという実感を得ることができました。
ライティングによって、金銭的にも精神的にも救われました。
いつかこの貧しい生活を綴って食べていけるようになればいいのにと、明るい気持ちで今日も文章を書いています。