貧乏生活の体験談!お店を始めて貧乏生活へ

貧乏生活

自分の店を持つという夢から、一転貧乏生活へ。

多額の借金を背負い、貧乏生活に苦しんだ吉田さん(仮名)。

貧乏生活への転落から、紆余曲折を経て生活苦から脱した体験談を書いてくださいました。

目次

自分の店を持ちたい

雑貨の学校

私が貧乏への階段を転げ落ちたのは、26歳の時でした。

それまで、地元の企業に勤めていたのですが、雑貨好きが高じて自分のお店を持つことが夢になっていました。

初めはそれも、なんとなくボワーっとした夢でした。

それが、いつしか強い思いとなり、どうしても自分の店を持ちたいという気持ちが、抑えられなくなってきました。

それで、私は思い切って会社を辞め、東京に出て働きながら雑貨の学校に通いお店の準備をしました。

夢の実現へお店のオープン

雑貨屋さん

雑貨の勉強を終え、私は、故郷へ帰り念願のお店をオープンしました。

ようやく長年の夢がかなった瞬間です。

しかし、それが、私の貧乏生活への始まりでした。

お店を持つという夢が叶った喜びも束の間、客足は伸びません。

出るのは、ため息ばかりです。

いつの間にか、雑貨屋さんになる夢は楽しい日々から、辛くて苦しい日々に変わりました。

貧乏生活へ転落

夢の雑貨屋さんに、お客さんは来てくれません。

支払いをするのが精一杯。

なので、当然、自分の住むアパートの家賃や、光熱費、食費など支払えません。

まさに生活苦。

家賃や借入の返済は、何ヶ月も滞納。

借金取りに追いかけ回される夢を、何度も何度も見ました。

もう限界でした。

借金返済に追われる日々

借金返済に追われる日々

私は、3年間続けた店を泣く泣く閉めることにしました。

残されたのは一千万円の借金。

お店は閉めても、借金の返済はしなければなりません。

保証人になってくれた兄や母に、これ以上迷惑をかけるわけには行きません。

私は、再び東京に出て、必死に働きました。

生活費は、毎月2万円

固定費以外は、全て借金の返済に充てました。

東京に出てきたばかりのころは、生活費がなくて、さらに100万円ほどの借金が増えていました。

返済のために、クレジットカード現金化を利用したこともありました。

天職との出会い

ファイナンシャルアドバイザー

私は、東京に出て、グラフィックデザインの派遣の仕事をしていました。

でも、才能がないのは、自分でも薄々感じていました。

お店の失敗で、お金の大切さは痛感しています。

なので、自分の将来のことについて、真剣に考えました。

そんな時に、ファイナンシャルアドバイザーという職業に出会ったのです。

ファイナンシャルアドバイザーは、お金や保険、運用に関してのアドバイザーです。

事業に失敗した経験を活かせることもできます。

貧乏生活からの復活

貧乏生活からの復活

私は、ファイナンシャルアドバイザーの勉強をして、久々にワクワクする感覚を覚えました。

もしかしたら、貧乏生活から脱出できるかも知れない。

そして、縁あって、ファイナンシャルアドバイザーになることができました。

ファイナンシャルアドバイザーは、見事に私にとっての天職となりました。

すぐに、年収800万円を稼ぐことができました。

結婚を機に、退職しましたが、今は稼いできてくれる旦那さんが居るので幸せに暮らしています。

子供の手が離れたら、またファイナンシャルアドバイザーに復帰しようと思っています。

吉田さん 女性 38歳 千葉県

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